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1982年に中学校の卒業記念で友達と東北旅行した時に、上野から秋田まで乗りました。旧型客車が懐かしいです。
色々な形式車内写真と組合せて旨く編集されていますね。14系なら秋田まで乗りたいですが、私の鳥海のイメージは、キハ28キハ58キロ28の長大編成急行です。客車夜行急行は大好きですから昔は良い鉄道時代でした。昔は乗鉄、撮り鉄は疲れるけれど、夜明け頃になると嬉しく疲れも忘れてしまう夜行列車でした。ホームには大きい水道場がありシャキっとした水で顔を洗い新しい旅の一日が始まりました。今の時代の鉄道よりも面白い夢の時代になりました。
10系座席の最終運行日の終点秋田駅で見送りしました。遠い昔ですが、趣きのある客車でしたね。
後楽園に野球を見に行った帰りに乗った記憶があります。
母親の実家が庄内地方なので夏休みによく乗りました10系座席で8時間ぐらい乗った記憶があります
この列車は、東京発の全国版の新聞を羽越本線の各駅に運ぶ役割を担った列車でもあります。なので、よほどの湖がない限り運休することはなかったのですね。末期は結構な隙間風が入ってくる車両ばかりで、新聞紙を丸めて隙間に詰めて冷気をふさぐということがありました。同じ旧客でも北オクの尾久の車両と秋アキ秋田の車両ではかなりの格差があったようでした。
ヨンサントオ改正まではこの鳥海は羽黒という愛称で、鳥海は奥羽本線経由の昼行急行だった。1959年の時刻表を見ていると。ちなみに奥羽本線を経由した急行津軽は1950年代は後の寝台特急あけぼのと同じ上越線経由で秋田や青森に向かったとか。その頃は奥羽本線経由の夜行急行だった模様。行先は秋田。
この車掌長さんの放送もよく聞きますね。津軽2号、おが4号、この鳥海、天の川…なぜかあけぼの、つばさ、いなほでは聞かなかったです。まさか秋田車掌区で種別の乗務などあったのでしょうか。
大阪車掌区では1組、2組・・・と5組くらいまでありましたから、前者は2組、後者は1組のような気がしますね。
天の川や新星のような寝台専用列車と、十和田号の一部を除いて上野駅発着の夜行急行は、近距離利用客にも重宝していたようですね、自由席は、熊谷・高崎・土浦・小山・宇都宮等への利用客にも好評だったようです(当時)。
1982年でも旧型客車の急行走ってたのですね。さすがにこの頃にはもう全て12系や14系だとおもってました。
この年の11月15日の上越新幹線開業に伴うダイヤ改正で,大半の旧型客車(私の言う❝歴史的客車❞)の列車は全国的に廃止になったかと思います。
近代化が進む時代に細々と運用していた旧客列車にムネアツです!
鳥海なつかしい。
この頃だと三国峠のエスコートはもうEF16からEF64に交代した後でしょうか…
最後は特急寝台でしたね。
牽引機関車はEF64?
のちの「出羽」「あけぼの」の原形。急行だから熊谷停車はわかるケド、渋川、見附、加茂、鼠ヶ関停車がマニアック。特急昇格後は、東三条、坂町が通過。「あけぼの」後は、水上、吹浦が通過に変更。新潟経由の有無で、「天の川」との差別化を図っている。
かつての夜行急行や鈍行の多くが、新聞、荷物、郵便輸送を担っていた為、未明~早朝の停車駅が多くなっています。
音声が悪く聞き取れない。
1982年に中学校の卒業記念で友達と東北旅行した時に、上野から秋田まで乗りました。
旧型客車が懐かしいです。
色々な形式車内写真と組合せて旨く編集されていますね。
14系なら秋田まで乗りたいですが、私の鳥海のイメージは、キハ28キハ58キロ28の長大編成急行で
す。客車夜行急行は大好きですから昔は良い鉄道時代でした。
昔は乗鉄、撮り鉄は疲れるけれど、夜明け頃になると嬉しく疲れも忘れてしまう夜行列車でした。
ホームには大きい水道場がありシャキっとした水で顔を洗い新しい旅の一日が始まりました。
今の時代の鉄道よりも面白い夢の時代になりました。
10系座席の最終運行日の終点秋田駅で見送りしました。遠い昔ですが、趣きのある客車でしたね。
後楽園に野球を見に行った帰りに乗った記憶があります。
母親の実家が庄内地方なので夏休みによく乗りました
10系座席で8時間ぐらい乗った記憶があります
この列車は、東京発の全国版の新聞を羽越本線の各駅に運ぶ役割を担った列車でもあります。なので、よほどの湖がない限り運休することはなかったのですね。
末期は結構な隙間風が入ってくる車両ばかりで、新聞紙を丸めて隙間に詰めて冷気をふさぐということがありました。
同じ旧客でも北オクの尾久の車両と秋アキ秋田の車両ではかなりの格差があったようでした。
ヨンサントオ改正まではこの鳥海は羽黒という愛称で、鳥海は奥羽本線経由の昼行急行だった。1959年の時刻表を見ていると。ちなみに奥羽本線を経由した急行津軽は1950年代は後の寝台特急あけぼのと同じ上越線経由で秋田や青森に向かったとか。その頃は奥羽本線経由の夜行急行だった模様。行先は秋田。
この車掌長さんの放送もよく聞きますね。津軽2号、おが4号、この鳥海、天の川…
なぜかあけぼの、つばさ、いなほでは聞かなかったです。
まさか秋田車掌区で種別の乗務などあったのでしょうか。
大阪車掌区では1組、2組・・・と5組くらいまでありましたから、前者は2組、後者は1組のような気がしますね。
天の川や新星のような寝台専用列車と、十和田号の一部を除いて上野駅発着の夜行急行は、近距離利用客にも重宝していたようですね
、自由席は、熊谷・高崎・土浦・小山
・宇都宮等への利用客にも好評
だったようです(当時)。
1982年でも旧型客車の急行走ってたのですね。
さすがにこの頃にはもう全て12系や14系だとおもってました。
この年の11月15日の上越新幹線開業に伴うダイヤ改正で,大半の旧型客車(私の言う❝歴史的客車❞)の列車は全国的に廃止になったかと思います。
近代化が進む時代に細々と運用していた旧客列車にムネアツです!
鳥海なつかしい。
この頃だと三国峠のエスコートはもうEF16からEF64に交代した後でしょうか…
最後は特急寝台でしたね。
牽引機関車はEF64?
のちの「出羽」「あけぼの」の原形。急行だから熊谷停車はわかるケド、渋川、見附、加茂、鼠ヶ関停車がマニアック。特急昇格後は、東三条、坂町が通過。「あけぼの」後は、水上、吹浦が通過に変更。新潟経由の有無で、「天の川」との差別化を図っている。
かつての夜行急行や鈍行の多くが、新聞、荷物、郵便輸送を担っていた為、未明~早朝の停車駅が多くなっています。
音声が悪く聞き取れない。